紅葉のシーズンになると山だけでなくお寺や公園などに人が集まってきます。
それは現代だけでなく、時代劇などでも見られる光景ですね。
「時代劇のは創作ではないの?」
と思われる人もいると思いますが、実は紅葉を見て楽しむ風習は平安時代からあったりします。
平安時代の紅葉の楽しみ方は、実際に木の枝を折って間近で見て楽しむというものでした。
この「枝を折る」というところを「狩り」として「紅葉狩り」という言葉ができたのです。
勿論、見て楽しむだけでその美しさを鑑賞するということも「紅葉狩り」の範疇です。
後者は兎も角、前者を今の時代やったら怒られますね(笑)
因みに万葉集でも紅葉についての歌がかなりあります。
今の紅葉は「落葉樹の葉の色が変化」することですが、当時は草木の葉が変わることを言ったようです。
■秋山に落つる黄葉(もみちば)、しましくは、な散り乱ひそ、妹があたり見む
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
⇒「妹(妻)をもうちょっと見ていたいから、しばらく葉を落とさないで」
つまり時期がきたら奥様から離れて遠くに行かなければいけなかったのですね。
■言(こと)とはぬ木すら、春咲き秋づけば、もみち散らくは、常を無(な)みこそ
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)
⇒「言葉を持たない木だとしても、春には花を、秋には紅葉で葉を散らせるのは、変わらないものなど何一つとしてないからなのでしょう」
悟ってますね…不変のものなどありはしない、ましてや言葉を持つ人ならばなお更。振られたのでしょうか。
■この里は、継ぎて霜や置く、夏の野に、我が見し草は、もみちたりけり
孝謙天皇(こうけんてんのう)
⇒ここは霜が降りるのですか?夏に見た時は色がついてましたよ。
流石天皇です。以前見た時とは違う色合いだからたずねたのですが、それすら歌にしてしまうあたり流石です。